
どーもこんにちは。
漫画家・イラストレーターの青柳恵太です。
今回の記事では、2019年10月20日発行の京都新聞「ジュニアタイムズ」にて 掲載された『矢取地蔵(やとりじぞう)』について作画秘話をご紹介します。
まだ、「マンガ『京・妖怪絵巻』の舞台裏」の記事をご覧いただいていない方は、 そちらの記事から先にご覧いただくことをおススメします。
「矢取地蔵(やとりじぞう)」はどんな妖怪?
矢取地蔵とは平安京の南の玄関口「羅城門」跡のすぐそばに
祀ってあるお地蔵様で「矢負い地蔵」とも呼ばれているそうです。
今回の『マンガ 京・妖怪絵巻』の「矢取地蔵」という作品は、
そのお地蔵さまが矢取地蔵と呼ばれる所以でもある物語です。

前回の雨乞い対決で空海に敗北を期した守敏。

彼は空海に負けたことに腹を立て空海の命を狙う悪僧になってしまいます。
そして、羅城門前で待ち伏せをし、空海に矢を放つと何者かに防がれてしまい、
それがのちに矢取地蔵とよばれる地蔵で守敏は自らの過ちに後悔をする
というようなあらすじです。
実際に矢取地蔵の背中には、矢の跡といわれる傷が残っているそうで
それは、空海の身代わりになった時に受けた傷とされています。
はたしてマンガではどのように描かれているのか…
ぜひ、新聞に掲載されているマンガを手に取って読んでご覧ください。
「矢取地蔵(やとりじぞう)」の制作秘話

この作品は、2週連続掲載の後半として描かせていただきました。
前回より描いてきた東寺の空海と西寺の守敏の戦い完結編です。
(歴史上ではこれが最後ではないかもしれませんが…)
前回もそうでしたが、今回も厳密には妖怪とは違います。
お地蔵様のお話です。
…どちらかというと守敏のほうが(以下略
この物語を描きながらふと考えていたのですが、
もし、この矢取地蔵と呼ばれるお地蔵様がいなければ、
のちの弘法大師空海の伝説も日本仏教のひとつである真言宗も
今の時代になかったかもしれないとおもうとすごい出来事ですよね。
また、空海がいた東寺は何度か焼失しながらも復興しながら現存し、
現在の京都では五重塔があることで有名なスポットになっていますが、
守敏がいた西寺が衰退して現在は石碑のみで跡形もないことを考えると、
さまざまな歴史的要因があったにせよ、守敏が地蔵に矢を放ったという罪との
因果関係がなにかしらあるのかもしれません。(私個人の想像です)
前置きが長くなりましたが、今回の制作秘話のお話をしますね。
今回の作品は他の作品とは違い2話連続ということで、
前話で登場人物の紹介ができている状態であったことと、
『羅城門前で守敏が空海に矢を射るも地蔵がかばう』
というのが大筋だったので、これまでの作品と比べコマ数的にも余裕がありました。
そのため、「矢を射る」「地蔵に当たる」という部分を
大きく描くことでよりダイナミックになるように描きました。


ちなみに、奥にある羅城門は全景描いてたのですが、結局半分は隠れてしまいました(泣)
作画の面で言うと難しかったのは、地蔵の色ですね。
ドラえもんの石ころ帽子やサザエさんのカツオのようにグレーに点々を入れることで石っぽさは表現できることは、あとで気づきました(笑)
この時は、いろいろ格闘をして結局テクスチャに頼りました。
ただ、その試行錯誤の結果、コピックテクスチャに出会えたので、
今となってはよかったかなと思います。
コピックテクスチャについては以下にまとめていますので
興味ある方は、ぜひぜひご覧ください。
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